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「うわ、めっちゃ泣いてる」首里城火災の悲しみ伝える写真 高校生2人、あの日の涙の訳 - 沖縄タイムス

 沖縄タイムスが首里城火災を報じた昨年11月1日付の紙面に、泣き腫らす2人の高校生の写真が載った。若い世代を含め、焼失の悲しみを表す1枚となった。あの日の涙の訳は-。1年後の2人に思いを聞いた。(社会部・田嶋正雄)

首里城火災にショックを受け、守礼門前で涙を拭う首里高2年(当時)の宮城風花さん、下地理央さん=2019年10月31日朝(田嶋正雄撮影)

首里城火災にショックを受け、守礼門前で涙を拭う首里高2年(当時)の宮城風花さん、下地理央さん=2019年10月31日朝(田嶋正雄撮影)

1年前の首里城火災を振り返る宮城風花さん(右)、下地理央さん=28日、那覇市・県立首里高校

1年前の首里城火災を振り返る宮城風花さん(右)、下地理央さん=28日、那覇市・県立首里高校

首里城火災にショックを受け、守礼門前で涙を拭う首里高2年(当時)の宮城風花さん、下地理央さん=2019年10月31日朝(田嶋正雄撮影) 1年前の首里城火災を振り返る宮城風花さん(右)、下地理央さん=28日、那覇市・県立首里高校

■思い出が詰まった場所

 昨年10月31日、首里高校染織デザイン科2年(当時)の宮城風花さんと下地理央さんは登校した教室で、居ても立ってもいられない気持ちでいた。2人とも自宅は首里城の近く。城郭の周辺は幼い頃から慣れ親しんだ遊び場だった。その城が焼け落ち、辺りは騒然としていた。

 「行こう」。始業前、どちらともなく声を掛け合い、焦燥感に駆られて首里城公園に向かった。警察の規制線が張られた守礼門前に立つと、こらえていた涙があふれ出した。

 「まさか自分が泣くなんて思わなかった」。下地さんは振り返る。宮城さんは「こんなにも大切だったんだなって気付いた」。教室に戻っても涙が止まらず、気が動転して一日中、授業に集中できなかった。

 2人は首里城に隣接する城西小学校出身。首里城はいつもの散歩道であり、放課後を過ごすなど、思い出が詰まった場所だった。

 喪失感は癒えないまま続いた。3月に授業で御庭(うなー)を見学した際も、黒く焼け焦げた火災の跡やがれきの山を直視できず泣いた。

■何げない時間が大切に

 高校で染織デザインを学び、紅型などの伝統工芸品が長い歴史の中で受け継がれてきたと知る2人。多くの貴重な収蔵品が焼失したことに今も心を痛めている。下地さんは「作ることの大変さが分かるから、失ったものの大きさも理解できる」。

 自分たちが泣いている場面の写真は当日の悲しい気持ちを思い出すものだった。友達や友達の親から「2人の写真がみんなのつらさを伝えてくれた」「もらい泣きした」と声を掛けられ「最近やっと、よかったって思えるようになった」。改めて写真を見返した2人。「うわー、めっちゃ泣いてる」と恥ずかしそうに笑い合った。

 宮城さんは首里城火災を「当たり前にあると思っていたものがあっという間になくなった。はかないなあ」と感じた半面、「身近にあるものや何げない時間が、大切だと感じるようになった」という。

 焼けた正殿の跡地は「つらくて、まだ見に行けない」という2人。地域に愛される首里城が再建され、人々が行き交う日常が戻る日を待ち望んでいる。

 来春の卒業後、県外に進学予定の宮城さんは「遠くにいても、再建の過程は見守りたい。子どもの頃、遊んだ光景が早く戻ってほしい」と期待を込めた。

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